「Je t'aime!菊」
開かれた玄関の先にあったのは、鮮やかな大輪の赤い薔薇の花束と金糸の髪を揺らしながら満面の笑みをたたえている一人の美形だった。
「・・・・・・」
その笑顔に、こちらも笑顔を顔に張り付けたまま無言で扉を引く。もちろん閉めるために。
しかし敵もさるもの。ふさがった両手の代わりに、隙なく磨かれた革靴が扉の間に挟み込まれた。
チッという小さな舌打ちが菊の口から漏れる。
「・・・どこで覚えたんですか。こんなの」
「菊の国では、訪問販売の常套手段なんだろう?」
舌打ちなど聞こえていないと言わんばかりに、にっこりと笑みを深くしたギリシャ彫刻のように秀麗な顔を目の前にして、心の底からため息が出た。押し売りだとは認めるわけか。
「・・・どうぞ」
分かっていたことだけれども、どの道口でも強引さでもかなう相手ではない。妙な意地で押し問答をしているよりは、素直に白旗を上げた方が得策だろう。
「どーも」
その心情を的確に理解しているであろう相手は、そんなことなど微塵も見せずににっこりと女性を骨抜きにしているのであろう笑みに条件反射のようにウインクを乗せて鴨居をまたいだ。
「本日は、どのようなご用件で?」
同じ趣味を持つもの同志、気が合う国の一つではある。菊も、フランシスのことは嫌いではない。むしろ、好意的にさえ思っている。
今日が2月の14日で、彼が愛の国でなければの話だが。
「恋人同士が愛をささやき合うこの日に、お兄さんの出番がないわけないだろう?」
あぁ、やっぱり。というのが感想だ。
警戒して距離をとっていた自分に向かって、チュッと投げキッスを送ってくるのを寸でのところで避けた。まぁ、気分だけだが。
「つれないなぁ」
つれないなんて、世界中に見境のない愛をばらまいている人には言われたくないセリフである。
どれほど邪険にしようが、大して傷ついてもいないくせに。
「そんなもので、私が喜ぶとでも?どうせなら、限定品のフィ・・・」
「そう言うと思って」
言葉を遮って差し出された箱に、目を丸くした。
「菊には大輪のバラよりこっちだろ?」
派手な色彩と、仰々しいあおり文字。一部が透明なフィルムになった四角い箱の中にいる、薄着の美少女。
こっ・・・これはっ!!
菊の目がそれに釘付けになる。
愛を語るバラの花束何かよりも、よほど菊の心を鷲掴みにする彼女の芸術的なフォルム。
是非欲しいと思ってはいたものの、ここ最近の忙しさで買いそびれていたのだ。それをこの目の前の相手に言った覚えはない。というか、誰にも言っていない。あまりの落ち込みに、誰かに口にするのさえはばかれていたのだから。
くっ・・・!
視線を上にあげれば、彼女に負けず劣らず整った顔立ちの男が、してやったり顔のでこちらを見下ろしていた。
欲しくて欲しくてしょうがない代物だが、先読みされた思考が悔しくて素直に手が出ない。
なんだか、手を出してしまったら負けのような気がする。
そう思って逡巡していたら、くすりと小さな笑いが落ちてきた。
「なんてね、こっちは純粋なプレゼント。誕生日渡してなかったから」
そう言って、強引ではないくらいの強さで腕の中に押し込まれたそれ。
こうやって、いつの間にかこちらの趣向を読んで先回りして、強引なのに引き際を心得ていて心地よい立ち位置で距離をはかってくれる。
本当に、憎らしいくらい。
「で、こっちは受け取ってくれないのかな?」
向けられた花束に込められた花言葉はもっともポピュラーなものだ。そこに込められた思いも、嘘ではないことを知っている。認めたくはないだけで。
嫌いではない。むしろ好きだとは思う。けれど、素直に負けを認めるには少しばかり矜持が疼いた。
だから反撃させてもらおう。
だって、私の方が年上なのに、手の中で踊らされて落ちるなんてなんだか悔しいじゃないですか。
差し出されたそれに手を伸ばし、しかし少しだけ方向を変える。それ自体を受け取らず、真っ赤な薔薇の花束から一際美しく咲く一輪を抜き出してその手の中に納めた。
「菊?」
相手の行動が読めなくて、わずかにフランシスが訝しげな顔をする。
そんな彼に向かって、白魚のような手の中で花を遊ばせて菊は小さくそれに口付ける。若造にはまだまだ負けませんとこっそり思いながら、老獪な麗人はにっこり微笑んだ。
「本当の愛なんて、私には一つで十分なんですけど?」
にっこり笑ったら、一瞬の間の後苦笑いと共に肩をすくめられた。
しまったなー、とぜんぜん悔しくなさそうな顔で、
「一本とられたって感じ?」
けれども、それを嬉しそうに言うから、だからなんだか憎めない。
Joyeuse Saint-Valentin !
さぁ、勝利の女神はどちらの手に?