今日は気分がいい。  



  

 そう思いながら、通いなれた慣れた飛び石の上を跳ねる。  

 面倒だと思っていたイギリスとの会合が、来週に延期になった。  

 その分予定されていた数日が急にフリーになった。代わりの仕事も入ってこない。  

 これをラッキーだと言わないでなんていうのか。  

 急に時間が空いたからって、困ることなど俺にはない。イギリスと違って、友達はたくさんいるからねっ!  

 けど、今向っているのは友達の家ではなかった。  

 俺の大切な大切な・・・・恋人の家。  

 

 「にほんーっ!」  

 

 大きな声を上げながら、風が吹いたら飛びそうな表戸をすぱんと勢いよく引き開ける。  

 その勢いのまま、返事など聞かずにどたどたと家の中まで上がりこんだ。もちろん、アポイントなんか取っていない。そんなのなくったって、今日日本は家にいることは知っていたし、もし突発的にどこかに出かけていたとしても上がって待っていればいいだけだからだ。  

 ため息をつかれることはあるけれども、大抵は「しょうがありませんね」という言葉で許してくれるからノープログレムだ。  

 土足で畳まで上がった時は怒られたけれど、ちゃんと玄関で靴を脱ぐことはもう何十年も前に覚えたからそんなことで怒られることはもうない。  

 後は、食べ物に関することで失敗しなければ日本は特に怒ったりすることなんかないってことも学習した。まぁ、といっても日本が怒ったところで怖いわけではないんだけども。  

 「にーほーん」  

 呼びながら廊下を早足で歩く。  

 どこにいるんだろう。いつもならば、自室か縁側か居間か。ご飯時じゃないから、台所ではないだろうと中りをつけながら足を進める。  

 まだ、日本の声も姿も見えない。  

 そう言えば今日はぽちの出迎えがないなと思う。いつもならば、扉を開けて暫くすれば可愛い泣き声と共に出迎えてくれるために駆けてくるのに。  

 今日は天気もいいし、お昼寝でもしてるのかな?と思う。それならば混ぜてもらおうと思ったら、なんだか一気に楽しくなってきた。  

 「にほんっ!」  

 だったらここだ!と、日当たりのいい居間に足を向け扉を開けて・・・・そして、そこにあった光景に固まった。  

 「なんや。アメリカか」  

 当然のようにそこに座ってこちらを見上げてくる視線。じろりと重さのあるそれは、もちろん日本のものではない。  

 「・・・・・・オランダ?」  

 黄色の髪と大きな身体。見たことがないわけがない。日本よりも、自分にとって距離的にはよほど近しい存在がそこにいた。  

 日本の家に他の国がいるのは珍しいことではないけれども、彼とここで会ったのは初めてだ。  

 「君もきてたのかい?」  

 なんだろう、違和感があると思いながら尋ねる。  

 「ほや」  

 答えたオランダの膝には、ぽちがいた。だから出迎えに来なかったのかと思ったら少しだけむっとした気分になる。  

 君は、俺よりもこいつといる方を選んだのかい?と。  

 オランダの膝に丸まったままのぽちを睨めば、くうんと困ったようにぽちが鳴く。それでも動かないんだから、ますます面白くない。  

 畳の上に座るオランダは、ゆったりとそこに座りタバコをくゆらしている。  

 それは、いつも会議場で見る様とは違って・・・  

 あぁ。そうだ・・・  

 「ユカタ・・・?」  

 オランダが着ているものだ。いつもの洋服じゃない。日本がいつも来ているようなキモノよりも、少し薄い生地の服。  

 アメリカだって着たことがないわけじゃない。他の国だってそうだ。楽しい事が好きなアメリカがイギリスやイタリアやドイツなんかを巻き込んで日本のお祭りをしようなんて言い出して、そのついでにみんなで着てみたことだってある。  

 それを、アメリカだって見たことがある。はずなのに。  

 (何かが違う)  

 じっと、オランダを見つめる。訝しげに眉を寄せた相手のことなんか知ったことではない。  

 「なんや」  

 ユカタの袖をばさりと払い、オランダがのそりと肘を突く。裾を余計に払うこともなく、畳の上に肩ひざをたてて悠然とアメリカを見上げいていた。  

 まるで、この部屋の主のような顔をして。  

 (そ・・・うか・・)  

 そこにいるのが、当たり前だった。  

 畳、襖、木で出来た柱に少しでも暴れれば簡単に着崩れてしまうユカタ。  

 日本のように、まるで当たり前のようにそれをまとっている自分と同じ肌の色を持つ国の化身。  

 (なんなんだよ・・・)  

 むっとした。  

 (日本は、俺のものなのに)  

 「なんで君が、それを着ているんだい」  

 思ったら、拗ねたような声が口をついていた。  

 「もろたん着てて悪いか?」  

 ひょいと、肩眉を上げてオランダが少し不機嫌そうな声で言う。  

 悪いよ。  

 そう、言いたかった。

 なんで俺の日本の服を着て、それが似合っていて、俺よりもここに座っているのが当たり前の顔して、ぽちまで独占して・・・

 けど、口にだしたら認めたようになる気がして「別に・・・」とだけつぶやいてそっぽを向いた。

 「アメリカさん?」

 驚いたような声に振り向けば、日本がいた。

 「どうされたんですか?」

 ぱちぱちと、ここに俺がいるのが不思議な顔をして問う日本にさらに機嫌が降下する。

 「遊びに来たんだよ」

 唇を尖らせてそう言えば、はぁ、となんとも曖昧な返事。

 何だよ、来ちゃいけなかったわけ?

 そんな思いも込めて視線をきつくすれば、日本の顔が驚きからいつものような優しく綻んだ表情になった。

 「相変わらず、急にいらっしゃいますね」

 日本の手にある盆の上には、冷えた緑茶が2つと和菓子が2つ。「もう、慣れましたけど」といいながら、それをローテーブルの上に置いた。

 やっぱり日本は突然来たことに怒らなかったけれども、なんだか今はささくれ立った心が穏やかにならない。

 「今、もう一つお持ちしますね」

 よろしければ、お先に召し上がっていてください。「ん」とオランダが日本の声に答える。それが俺に対しても向けられた言葉だとは分かっていたけれども、その場に座る気にはなれなかった。

 俺とオランダを置いて、日本は台所に向かう。  

 けれどオランダと一緒にいたくなくて、俺は日本の後を追った。  

 「アメリカさん?」  

 台所で追いついた日本の小さな体を、ぎゅっと後ろから抱きしめる。  

 「どうされました?」  

 どうしたもこうしたもない、と思う。  

 「なんで、オランダがいるんだい!」  

 日本の耳元でそう抗議すれば、こてんと黒髪が横にかしげた。  

 「遊びに来たんですよ」  

 「俺は聞いてないよっ!」  

 「言ってませんから」  

 「なんで!?」  

 「なんでって・・・あなた今日イギリスさんと会合だったじゃないですか。来ないと分かっているから伝えなかったんですよ」  

 日本の言葉にむっと神経が引っかかった。  

 なんだい、俺が来れないって知ってて彼を呼んだみたいじゃないか。  

 その思考がまるで日本が浮気してるみたいだと思って、そんなのは想像でもいっこも認められない事態だと即座に頭の中から消した。  

 日本の家に誰かがいるなんてことは、よくではないがないことでもない。イタリアだったりドイツだったりイギリス・・・は、かっこつけてあまり来ないけれども、オタク仲間だというフランスや寝に来てるみたいなギリシャ。それと鉢合ってけんかするトルコ。  

 そんな姿は、幾度も見てきたのに本能が叫ぶ。  

 あいつは、違うのだ・・・と。  

 「ユカタ・・・」  

 「はい?」  

 「ユカタ、俺には着ろっていわないくせに」  

 唇を尖らせながら言えば、こてんと首かしげながら日本が見上げてくる。  

 「だって、着せたとしてもあなたすぐ脱いでしまうじゃないですか」  

 それは・・そうだけど・・・  

 ついでに言えば去年の夏に着るかと聞いてきた日本に、面倒だから嫌だと言った記憶も確かにあるがそんなことは別なのだ。  

 「でも・・・っ!」  

 さらに食い下がろうとする言葉を止めるように、腕の中で振り返った日本が俺の唇についと人差し指を当てた。  

 ひんやりとした、細い指。  

 「何をそんなに拗ねてらっしゃるんですか?」  

 くすり、と日本が笑う。  

 恋愛の駆け引きに慣れていないくせに、俺よりも大人の余裕をその幼く見える顔に浮かべて。  

 分かってはいる。日本は、俺よりもずっと年上で、引きこもっていた分俺の知らない日本がいて、そんなことは分かっていてお互い様だと知っているのに。  

 「オランダさんは、お友達ですよ?」  

 そう言う君の口を、塞いでしまいたいだなんて。  

 「・・・・にほん」  

 少し、舌ったらずになった声で彼を呼ぶ。  

 「にほんは、俺がすき・・だよね?」  

 知っている。その答えには肯定しかないことを。それが口先だけのものじゃなくて日本の気持ちが、自分にあることだって知っている。でも・・・  

 「えぇ、そうですよ」  

 にこりとほころばせた表情は、いつもの俺が大好きなものなのに・・・  

 もやもやが消えなくて、俺は腕の中の小さな体をぎゅうっと縋るように抱きしめた。