菊がアーサーに出会った正確な年齢は覚えていない。生まれた年月やましてや誕生日などというものに気を割いている余裕などその当時の菊にはなかったし、そうする理由もなかったからだ。

 菊にとって月日というものは自分の周りを知らぬ間に過ぎゆくだけのものであり、明るくなれば起き日が沈めば眠るだけでその数を数えるものではなかった。ただただ、その日その日を生き延びることだけに必死になっていて。  

 だから、菊は自分が今幾つなのかという正確なことを知らない。  

 まだ体が小さかった頃だから、4つとか5つとかその辺りだったんだろう。もしくはもっと上かもしれないし下かもしれない。  

 ここに来て9年経っているから、おそらく13.4は越しているのだろがそれさえもよく分からない。自分以外の年頃の人間はここにはいないから、比べることも菊にはできなかった。  

 けれども、それも菊にとっては些細なことだった。自分にとっての絶対がそれを気にしないのならば、菊にとってもそれは気にするに値しない。  

 たとえ、菊が成長していく間も彼の外見が全く変わらなくったって。  

 自分の主は人ではない。それは、出会った頃から知っていた。  

 何百という羽の生えた鳥のような生き物の中から現れた異形の麗人。その姿に目を奪われ、彼に命をもらった。  

 生かしてやると言われて、うなづいたのは自分だ。  

 死の境目にあったそのときの記憶はもうろうとしていて、どれが現実なのかはあまり定かではないが菊は一生それを忘れないだろう。  

 心地のいい匂いに包まれて抱き上げられ、運ばれたのはこの屋敷だった。  

 月も星もない深夜、何故か広大な庭園で大量の赤いバラが明かりもないのにその姿を主張するように鮮やかだったのを覚えている。  

 暗く闇に落ちかけた視界の中、肌に感じたのは触れたら溶けてしまいそうなほど柔らかな感触だった。高級なシーツをいうものを知らなかったその時の菊には、まるで天使に抱かれているようにも感じられ、あぁここが天国と言うものなのかと見当違いなことを思いもした。  

 目の前にある物の色が闇と同化しかけているのは、外が暗かったのか命の残数がつきかけていたせいか。  

 それでも必死に金の色を追いかけていると、なにやら目の端で動いていた彼が自分へと近づいてくるのが見えた。  

 「口を開けろ」  

 しかし、そんな気力すら失いかけていた菊は彼の言葉に従うことができない。  

 それに気づいたのか、彼はぐいとかさかさの唇をこじ開けた。  

 唇に触れたのは、熱い感触。  

 そして、トロリとした生まれてこの方口にしたことのない甘い蜜のような液体。  

 あとでそれは、彼の血だと教えられた。  

 ただその時は何も分からずに、口に流し込まれるそれをただ流されるままに嚥下するだけ。そしてそれは、すぐに訪れた。

 堪えきれないほど激しい衝動が体中を巡る。  

 「・・・ぁ・・ぅあ・・ぁぁ・・っ」  

 獣のような声でもだえながら、焼けるような熱さに耐えた。あれは、死にかけていた体が生きるためのエネルギーを急激にそそぎ込まれた反作用なのだろう。  

 苦しいのにどこかしら恍惚とした未知の感覚は、菊にとって恐怖だった。  

 体の中を駆け抜けた嵐が収まったのは、どれほどの時間が経ったころだろう。気を失うこともなく横たわる菊に、彼は口の端をくいっとあげる。  

 「これで、お前は俺の所有物だ」  

 そして、教えられた。彼が人の生き血をすって生きる化け物であることを。  

 吸血鬼、と呼ばれ人から恐れられるものであると。  

 「10年、お前に時間をやろう。その時間を終えたら、お前は俺にその身を差し出せ」  

 楽しそうに告げる彼にとって、遊びのような提案。  

 それは、飼い主と家畜の契約。  

 その日から菊は、生きた日にちを数え始めた。彼のものになる日が近づく喜びをかみしめながら。