さんさんと照りつける太陽の下で、鍔の広い帽子をかぶったロヴィーノは輝かんばかりに青く茂った畑の中、腰を屈めて埋もれていた。  

 ルビーよりも心を踊らされる赤が手の中にある。  

 今年の出来も上等だ。  

 自分の手で、農薬もほとんど使うことなく肥料だって科学性のものを一切排除した有機物を使っている畑は、ロヴィーノにとっては自慢の宝物だった。  

 「ほらっ!」  

 どれもこれもおいしそうだが、その中でも一等きれいなやつをもぎ取り、軽く布で拭いてロヴィーノは自分と同じような格好で側に立っていた相手へと渡す。  

 「ありがとうございます」  

 普段はスーツと着物しか見たことないような相手に汚れるからとむりやり着せた自分の作業着は、ただでさえ小さな相手をより一層小柄に見せていた。  

 欧州の中では決して体格がいい方ではない自分の服でさえ、彼にとってみればまるで子供が大人の服を着せられているようだ。  

 日に当たらないようにと被せた自分とそろいの帽子の下、真っ黒な瞳が紅玉を受け取りその闇を模したような色合いに似合わない柔らかな光を浮かべている。

 

   

 ロヴィーノは菊のことが好きだった。  

 初めて彼のことを知ったのは、はるか昔。アジアへとその手を伸ばしていた兄貴分のアントーニョから聞いた極東の島国の話から。  

 着るものも食べるものも文化も芸術も、語られる言葉だけでは想像もつかないほど不思議な国。  

 けれど、彼が持ち帰って来たかの国の芸術品よりもロヴィーノの興味を引いたのはアントーニョが熱っぽく語る自分たちと同じ存在の話だった。  

 小さくて可愛くて、黒い髪は見た目に反してアジアのシルクのような手触りで柔らかく艶やかで指の間を擦り抜ける。肌はクリーム色で触ると驚くほど滑らかで離したくないほどらしい。目も髪と同じ黒で、光に当たるときらきらと不思議な色を湛えている様はまるで宝石のようだという。  

 でも、すばらしいのは見た目だけではない。一緒にいると、ふわふわと暖かな心地なるあの不思議な感覚が何よりも離し難いのだと。  

 あれが国でなかったら、何としてでも連れ帰ったのにとため息をつくアントーニョの様子は中々見れるものではない。  

 そんな兄貴分の様子に呆れながらも、どこかでそんな想像の中の相手に恋をしていたのかもしれない自分に気付いたのは、それからかなり経った後。弟のフェリシアーノの紹介で当の本人に出会った時だった。  

 今度、同盟を組むんだー。と嬉しそうに菊を連れてきたフェリシアーノの顔はいつも以上に緩んでいて、黒髪の相手のことを相当気に入っているのは一目で分かった。  

 はじめまして、本田と申します。  

 静かな声でそう言い、頭を下げた存在は緊張のためか小さな顔を少し強張らせてはいたけれども、それでもその中に、凛とした揺るぎのない芯を抱えていて。その小さな立ち姿を純粋に綺麗だとずいぶん長い間見ほれてしまった。  

 おかげで、それに気付いたフェリシアーノにさんざんからかわれたけれども。  

 でも、そこにはアントーニョから聞いていた、柔らかく笑う様はどこにもなくて。それをとても残念に思ったことを、今でも覚えている。  

 ロヴィーノが菊の笑顔を見るようになったのは、大戦が終わったずっとあと。長らく見えることもなく、姿を見かけたとしてもそれは大国の影にひっそりと血の気をなくした顔で寄り添う姿で。  

 徐々に回復していく姿に安堵し、それでも浮かべる笑顔がどこかぎこちないような気がして。  

 いつか・・いつか彼が浮かべる心からの笑顔がみたいと、もしそれが自分によってなされるものであったならどれほど心地よいのだろうと願っていた日々は未だに思い出すだけでロヴィーノの胸をジクジクと疼かせる。  

 だからこうして、菊が自分に向けてくれる笑顔は彼の手の中にある赤い宝石よりもロヴィーノにとって大切な宝物だった。  

 太陽の光をいっぱいに浴びた瑞々しい果物のような赤。  

 ロヴィーノから赤い果肉を受け取り、そのままかぶりつくのを躊躇するかと思えば、うまい具合にでっかいトマトへ唇を寄せ歯を立てる。  

 汁が垂れないように気をつけながら、咀嚼し嚥下すると、その頬にとろけるような笑みが浮かんだ。  

 「おいしいですね」  

 彼がよく浮かべている形の決まりきった笑顔ではなく、今浮かんでいるのは自然と緩んだ顔。  

 その違いが分かるくらいには彼の笑顔を見てきたから。  

 けれど、彼にその笑顔を取り戻させたのは自分ではない。  

 それが彼の笑顔を見るたびに、ツキンとロヴィーノの胸を痛ませた。  

 それでもいい。例え、彼の笑顔を取り戻させるきっかけが自分でなかったとしても、今こうして彼に笑顔を与えているのは自分なのだから。  

 「だろ!?俺んとこのトマトは世界一だからな!アントーニョにだって負けないぜっ!」  

 彼に自慢のトマトを褒められたのが嬉しくて、自然と声のトーンが上がる。  

 そんな様に、くすくすと笑い出した菊を見てロヴィーノは頬を膨らませた。どうせまた、子供っぽいしぐさをしてしまった自分に対してのものだろうと思って。けれど、  

 「いえ、そうやって嬉しそうな声をあげられた時はフェリシアーノくんの声とそっくりだなと思いまして」  

 やっぱり、双子の兄弟なのですねと、菊は笑う。  

 「普段は、お声も雰囲気も違いますから顔が同じでもあまり意識することはないんですけど」  

 その言葉が、ロヴィーノの胸に一粒の暗い影を落としたことをきっと菊は知らない。  

 こうして、笑っている彼が目の前にいるだけでいい。そう思っているはずなのに。心の内は存外正直だ。  

 菊にとって、フェリシアーノの存在は特別。  

 自分もそうであったはずなのに、彼らの中には入れないような気がしてそんなときに弟と自分の差違を感じる。  

 多分、彼に恋をしていたのは自分の方がずっとずっと先なのに。  

 きっと自分は、彼の特別にはなれない。弟以上の存在にもなれないだろう。  

 それは、ロヴィーノの心に汚泥のように醜く凝り固まった感情を降り積もらせた。

 けど、やっぱりそれでもいい・・とロヴィーノは思う。  

 苦しいけれども、悲しくなるけれども。  

 今こうして、彼にひと時だけの笑顔を与えられるのなら。彼が今だけでも、憩えているのならば。   

 「ロヴィーノくん?どうしました?」  

 おそらく、考え込んでしまっていたのだろう。少しだけ心配そうな声音になった菊に、ロヴィーノはなんでもないようにニッと笑う。  

 「ほら!いいから食えって!」  

 「はい、いただきます」  

 そう言って、彼が笑う。「おいしですね」と、綺麗で優しくて泣きたくなるくらい愛しい顔で。  

 だからロヴィーノは、彼に向かって太陽のような満面の笑みを送った。  

 また返ってくるであろう、彼の笑顔が見たかったから。

 

 

   

 それは、憧憬にも似た小さな恋。