赤や金を基調とし、さらに青や緑の原色で彩られた店内は活気に満ちていた。
人の話し声笑い声、そして店員の呼び声が空間を行き交う。そして、さらにその場を占めるのは口の中に涎があふれそうなほどの魅惑的な香り。
円形のテーブルに並んでいるのは、においの元である色とりどりの料理だった。
チャイナタウンと呼ばれるチャイニーズが多く住まう地域にその店はある。
煉瓦づくりの土色の壁が主流であるこの土地のなかで、そこは明らかに異色であった。住まうのは、皆、黒目黒髪で不思議な服を着た異国の人間ばかり。
足を踏み入れるのも彼らの国の人間が多く、この土地のものたちは好んで立ち入ろうとはしなかった。
一部の、変わり者たちを除いては。
「きぃーくちゃん。今日もかわいいねぇ〜っ」
軽薄な声で一人の給仕に声をかけ、その尻をなで上げようとした手がぴしゃりとはたかれる。
「フランシスさんだって、今日もかっこいいですよ?」
はたいた手の強さに似合わない柔らかな笑顔で、菊と呼ばれた相手はにっこりと笑った。
耳元でわずかに切りそろえられた癖のない黒髪がさらりと揺れる。花の名前がよく似合うその仕草は、可憐な少女とでもいえそうだ。うなじが露わになるほど短く刈られた後ろ髪は女性にしては短いと思うものの、しかしそのさわやかな雰囲気は菊によく似合っていた。
「そりゃ、どーも。だったら、ちょっと位相手してくれてもいいのに」
形のいい眉を情けなく下げた表情すらどこか様になってしまう男に菊はあからさまに嘆息する。
「していると思いますよ?本当に嫌なら、存在の認識すらしません」
きっぱり言い切る菊の言葉が、比喩ではないことをフランシスは知っている。派手さはないが、どこかねっとりと相手を誘う色香が菊にはあった。
そんな菊にちょっかいをかけようと思うのはなにもフランシスだけではない。
少し前まで、フランシス以上に菊に執着している一人の男がいた。その男はチャイニーズで、燿の店のそこそこな常連だったらしい。
何度かフランシスも見かけたことはあるが、人のことをいえた義理でもないフランシスが眉をひそめるほど下品な男だった。
今はもう、その男の姿をこの場でみることはない。
何か菊の気にさわったらしいその男は一切菊から認識をされなくなった。声をかけても触れても目の前に立って怒鳴りつけても、まるでそこにかけらも存在しないかのように。
もちろん、そんなことをされて気分のいいやつはいない。
ついに菊の態度の我慢の限界を迎えたその男は、衝動的に菊を殴りつけたらしい。その場にフランシスはいなかったのだが、小さな体は簡単にふっとびさらにその上から蹴りつけたというのだから何とも許しがたい行為だ。
その場にいたら、相手を半殺しにしてやるのにと思いつつ、すでにそれは燿によってなされたのだからフランシスには手の出しようがないのが残念だった。
それはともかくとして。そんな状況にも関わらず、菊は相手の存在を認めようとしなかった。額から血を流しても何事もなかったかのように男の存在をシャットアウトし続けたらしいのだから、菊の頑固さは一種異常だった。
「それに、私フランシスさん大好きですし」
だから、相手にされてないなぁとは思うけれども菊の口からリップサービスといえどもこんな言葉が出てくるだけで自分はまだましなのだろうと思う。
「そう?ありがとう」
「本当ですよ?金色の髪の毛がとてもきれいで、私それ好きなんです」
珍しいほめ言葉に、フランシスはにっこりと笑みを向けた。手入れを怠らない薄い金色の髪は緩やかにカーブを描き肩の辺りまで延びている。自分の中でも自慢であるそれをほめられるのは素直にうれしいことだ。が、フランシスは菊の言葉の内容を正確に理解していた。
「二番目に、だろ?」
「はい」
悪びれもなく、菊はにっこりと笑う。
肯定されても、フランシスは気を悪くした風もなく肩をすくめただけだった。だって、それはいつものこと。
詳しくは知らないが、菊には誰にも越えることのできない一番がいる。夢を見る生娘のような顔で少しだけ聞いたことのあるその様子からは、一番を奪い取ることは難しいだろう。
「あーぁ。菊ちゃんも見る目ないなぁー。お兄さんにしとけばいいのに」
「フランシスさんも見る目がないですよ」
くすっと菊が笑う。
「こんな胸も何もない男に毎回毎回こりもせずにそんな言葉をかけるよりも、もっとすてきなおじょうさんがたがいらっしゃるでしょうに」
その言葉に毎度、詐欺だよなぁとフランシスは思う。
このかわいらしさと儚さと清楚さを合わせ持つ最強の美少女が男だという事実に、何人が打ちのめされただろう。ま、それでも物ともせずに思いを寄せている相手はすくなくないのだが。
しかし、菊の言葉にも一理ある。
確かに女性の豊満な胸は人類の宝だとフランシスは思っている。柔らかくさわり心地がよくいい匂いがする。何ともいえない至福の時を与えてくれるあの未知なる物体を、確かにフランシスは愛していた。
が、それ以上に魅惑的なものがフランシスにはあるのだ。
フランシスがここへ通いだしたのはいつ以来だろう。東洋人と西洋人の壁は厚い。そうであるだけで避けていく人すらいるというのに、全く頓着した様子もなくこの場所へと足を踏み入れる自分に当初風当たりは決して優しいものではなかった。
確かにこの店を訪れるのはチャイニーズやほかの東洋人が圧倒的に多いが西洋人もいないわけではない。けれども、フランシスのように全体的に薄い色素を持つ人間は少なかった。
それでもそんなことが些細だと思えるほど、フランシスはここへ通いつめる自分を知っている。
天敵というくらいまで嫌いだったガーリックが食べられるようになったのだって、愛の証のようなものなのに。(この店の店主は、分かっているだろうに頑なにガーリック抜きの料理を作ってくれない。どうして中華にはこんなにガーリックが入っているのか・・)
諦められないんだよなぁ、と内心苦笑しながらフランシスは菊にいつものようにウインクを投げた。
「そう思うんだったら、この健気さに応じて一回デートでも・・」
「なにしてるあるか、この髭」
ぎらりと目の前に突きつけられたのは、きれいにすきなく研がれ鈍い輝きを放つ中華包丁だった。
触ったとたんに皮膚が切れてしまいそうな輝きに、フランシスの頬をつっと汗が伝う。
「うちの菊に手ぇ出すつもりなら、八つ裂きにして中華鍋で炒めてやると言ってるのが分からないあるか」
「・・・・大人しく食べます」
しゅんとテーブルに向かったフランシスに、菊はおかしそうに小さな笑い声を漏らした。
騒がしい店内から裏方へと戻り、菊は小さくため息をついた。
菊が求める1番は、今になっても見つかることはない。これほど、捜し求めているというのに。
それはずっとずっと昔のこと。
夜の帳の中で出会った、月のような金色と、深い森のような妖しい緑の瞳に見つめられてからずっと。
その光は、菊の心を捕らえて離さない呪いのように・・・
そして今日も菊は、夜の街へとさまよい続ける。
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今、連載でやってる吸血鬼の派生です。本当は、こんな流れになるはずだった・・・
アーサーさんはお菊さんを自分の屋敷に連れ帰らなくて耀さんのところに預けるはなしだったのに。
色々あってやめたのですが、もったいなかったのでこっちに短編ってか場面の切り取りのような形でアップ。
フランシスさんもヴァンパイアです。この時点では、その必要性がまったくない話ではありますが(苦笑)