照明を落とした店内に、低く流れる心地のいい音楽。

 ダークグレイの色合いで統一された店内の片隅に設置されたカウンターに、一組の男女が座っていた。

 女はスタイルもよく、着ている物も持ち物も高いブランドの物ではあるがそれを厭味にならないくらいに着こなしている。

 ブランドよりも、まず着ている彼女自身に目が行くくらいであるから女は自分の魅力をよほど理解しているのだろう。

 きれいに巻かれた髪は隙なくセットされ、化粧も濃すぎはしない。

 落ち着いた印象はあるその女性は若くは見えるが、しかしよく見れば、それなりに年を重ねていることも分かるだろう。

 だが、隣に座る男の方は正真正銘若い男だった。

 20代の前半くらいに見えるその男は、見た目よりは落ち着いてはいるが雰囲気がまだ青い。

 手を入れていない髪は黒く、身にまとっているものも同じく黒だった。ただ、瞳だけは光の加減からか少し面白い色をしているようにも見える。しかし、それがこの男の不思議な魅力だと女は思った。

 男と女は、旧知の間柄ではない。

 ふらりと女が立ち寄ったこのバーで、男の方が声をかけてきたのだ。

 女は男を見ながら思う。  

 自分は見目のいい人間を毎日のように見てはいる。男も女も、嫉妬の対称にもならないような信仰の域の人間たち。

 顔の美醜だけではない。もちろんそれもあるが、それ以上にに自らの内面で光り輝いているような人間と毎日のように顔をあわせている自分は、随分と他人に対しての評価は厳しいと思っている。  

 だが、それは仕事上での話だ。  

 こうして今のようにプライベートの自分の仕事を明かさない状況では、なかなかそんな相手とめぐり合う機会はない。

 昔ならまだしも、年をとった今ではなおさらだ。もうじき自分も40を迎える。

 一般の友人からは、驚かれるほど若いと言われるがそれは浮世離れした仕事のせいだ。それでも、ごまかすのはもう限界だと思っていたのに。

 女は、隣に座った若い男を盗み見るようにちらりと視線を移す。

 よくこんなきれいな男の子を捕まえることができたと思う。自分も年をとったつもりでいたが、まだまだ現役だわと女は心の中でほくそえんだ。

 男は、奈倉と名乗った。

 それが本当の名前なのかそうではないのかは興味はない。自分だとて、後々面倒になるのが嫌で適当な名前を名乗ったのだから。それでも、こうして話を続けていると本当の名前を名乗ってもよかったかしらと女は思った。

 この出会いを、今日限りのものにしておくのももったいない気がして。  

 女は、久しぶりに機嫌が良かった。  

 目の前には見目のよい若い男がいて、酒もうまい。

 ふわりといい感じに酔った自分を自覚しながらも、女は至極満足げな表情を浮かべていた。  

 「テレビ局のプロデューサー?」  

 だからだろう。言うつもりもなかった自分の職業を、ぽろりと言ってしまったのは。  

 「お姉さん、偉い人なんじゃない?」  

 「えぇ。そうよ」  

 純粋におどろいた顔を見るのは嫌いではなかった。それが、自分の自尊心を満足させていることを自覚しながら、女は続ける。  

 「きっと、あなたが知ってるような番組もいくつか手がけてるわ」  

 名前を出せばより驚くだろうと思いながらも、それでもどこかにある理性が自分の素性をさらけ出すのを押し留めていた。  

 「芸能人にも会ったことある?」  

 「もちろん」  

 ありきたりな質問にも、腹がたたなかった。彼こそが芸能人だと言ってもおかしくないような、きれいな男に言われたからかもしれない。  

 そうなんだ、と男は感心したように言う。  

 「じゃあ」  

 と、続く言葉は予想がついていた。誰に会ったことがあるの?この人は見たことがある?  

 お決まりの質問だ。それを予測しながら、微笑を浮かべていた女はしかし、次の男の言葉でその笑顔を凍らせた。  

 「ライラのことも知ってるの?」  

 かちりと、グラスが机にあたり硬質な音を立てた。まるで、女の動揺をそのまま表したように。  

 「あ・・なに?あなた、ライラのファンだったの?」  

 珍しいことではないと思いながら、それでも乱れた心の様子を隠しきれずに女は少し引きつった顔で笑う。  

 「うん。ファンじゃなかったやつのほうが少ないでしょ?」  

 そう、そうだ・・と、女は思うがしかしどこかで引っかかった気持ちが男の言葉をうまく消化できない。  

 落ち着こうと、女は飲みかけだったグラスを手に取った。

 ロングのカクテルグラスの中には、ピンクグレープフルーツをメインにした淡い色の飲み物が入っている。

 隣にいる男が進めてくれたものだ。自分には若々しすぎる色だとは思ったが、味は気に入ったそれを半ば飲み干す勢いであおった。  

 酒は、そんなに弱い方ではない。酔ってはいた。その自覚はあった。けれども・・・・  

 「ライラのこと、教えてよ」  

 くらりと、頭が揺れた。  

 重ねて問う男の言葉に、女はネイルのぬられた爪を食い込ませるように手を握り締める。

 ぐっと、とがった先が手のひらの柔らかいところに突き刺さったが女の思考は止まらない。  

 (ライラ・・・ライラは・・・)  

 いけない、と思う。  

 あれはずっと昔のこと。自分がまだ、この地位を手に入れてなかったような。

 それでも、ある程度足場が固まって、現場の中枢に足を踏み入れ始めた・・・  

 「ライラ・・・・は・・・」  

 口から漏れた単語に、自分でも驚いた。あの子供の話を進めるつもりはなかった。話題を変えて、他へと意識をそらせようと思ったのに。  

 「あの子は・・・・」

 握り締めていた手は、男によっていつの間にかほどかれていた。

 そんなことにも気がつかないくらい、女は自らの思考の中でぐるぐると回る。

 「・・・あの子のことは忘れられないわ・・・小さな体で、でもそんなこと関係なく・・・」

 そこにいるだけで周りを魅了する不思議な子供。自分も、その一人だった。

 きっと、画面越しに見ていた人間よりもずっとあの子供に魅了されていた。今でも忘れることはないし、あの子供以上の存在に会うことなどもうできないだろうと思う。

 けれど、それは決して言ってはいけないこと。

 女に課せられた約束。なのに・・・

 「あの子の影響力はすさまじかった・・・バックについているあの人のせいじゃなく、あそこまで上り詰めたのはきっとあの子の・・・」  

 「あの人?」  

 優しい声が、隣からかけられる。  

 「あの人って、誰?ライラの後ろには、誰がいたの?」  

 宥めるように、その声は続く。  

 「いえ・・・だめなの・・・言ってはいけないの・・私は・・・・」  

 面影が浮かんでは消える。  

 何故だろう。思考が定まらない。  

 しっかりしなければと思うのに、今、目の前に誰がいるのかすらも霞がかった頭は認識してくれようとしない。  

 「ねぇ、あなたは何を知ってるの?」  

 視界の中で最後に映った整ったその顔は、まるで人を堕落させる悪魔のように見えた。