池袋駅の地下を東口から抜け地上に出る。ロータリーを越えた地下出口の側には、予想外に緑があった。
数えるほどではあるが、大きく葉をのばした木々に新緑が芽吹いている。
ずいぶんと立派なそれらをぼやっと見上げていたら、危うく置いていかれそうになって帝人は足早に正臣の後を追いかけた。
「すごい人だね」
「まだ今日はましなもんさ」
きっと、正臣がいなければ歩くのも困難であろう。たった数メートル進むだけでも息が切れそうだ。この人波の中で、どうやってみんなぶつからないように歩いていけるんだろうか。
「東京ははじめてだけど、本当にテレビで見てたくらいに人がいるんだね」
「初めて?」
帝人の言葉に何か引っかかりを覚えたように、正臣が首を傾げる。
「初めてだよ、僕はね」
にっこりと笑った帝人に、正臣は一瞬考えるように宙を見上げて「あぁ、そうか」と答えた。
「じゃ、どっか行きたいとこあるか?」
「ええと、チャットでも前言ったけど、サンシャインとか・・・」
おのぼりさんの典型だなとは思ったが、せっかくだから見てみたいと思うのが正直なところだ。ためらいがちに口にすれば、正臣はにっと馬鹿にするでもなく笑顔を見せる。
「おーけっ!この正臣様に任せていただければどこへなりとも!」
くるりと帝人の方を振り返り、まるで騎士のように気取った様子で深々と頭を下げた。
当然のことながら、周囲の視線は2人に集まる。
その中心で不審者の烙印を押されながら帝人はにっこりと笑う。
「1ポイント」
「・・・・それは、いくつ貯まると何か得点があるとか言うそんな話だったり・・・?」
「うん。僕に存在を忘れられるという得点がつくよ?」
わかっているならやらなきゃいいのにと思うけれども、だからこその正臣なのだともわかっている。
「うーん・・・じゃあ、池袋案内の報酬でとりあえずプラマイゼロにはならない?」
ぱちんとウインクする姿が妙に決まっていて、それに帝人は思わずため息をついた。
正臣はなんだかんだ言って帝人が眉をひそめる言動を、反省してないかのようによく口にする。
そして、何を言おうとも結局帝人が正臣をしょうがないなぁで許してしまうことも。
「はいはい。その代わり、満足しなかったらさらにポイント加算させるからね」
そう言えば、ひでぇっ!と悲痛な声があがったのを無視して、帝人は正臣から池袋の街へと視線を向けた。
黒々とした雑踏に見上げるばかりの高いビル。ひしめき合う町並みに排気ガス。『なつかしい』と、帝人はぼんやり頭の片隅で思っていた。
けれども、それは正確ではない。自分はこの地を知らない。歩いたことなどない。ただ、ガラスの向こうから通り過ぎただけの街。それでも・・・どうしてか心で惹かれた街。
それは、遠い遠い昔封じ込めたものだけれども。
(いや、違うな)
ふと帝人は瞳を伏せ、自嘲気味に笑った。
なつかしい、などと感じるのは自分ではないのだからそんなことを思う自体間違っているのだと思い直す。
自分はそういうこと、にしたのだから。
帝人の心情を気付いているのかいないのか、正臣はいつもと同じ顔で帝人の手を引き促す。
一瞬で終わった木陰を抜ければ、その先にあったのは東京を表したような商店街だった。いや、商店街というのは少しイメージに合わないかもしれない。
両側に並んだこちゃごちゃした雑居ビルが並ぶとおりは、決してきれいとは言いがたいが人の心を浮き立たせる華やかさがある。
正臣の薀蓄のような案内を聞きながら、帝人は言いようのない高揚を覚えていた。正臣が隣にいるからだろうか。改札を抜けた時の不安は、今はない。
その表情にも、自然な笑みが浮かんでいた。
それはまるで、普通のなんでもない高校生のような顔で。
「この上の道路が首都高速な。あ、そうそう。今通ってきたのが60階通りってやつだから。それとは別にサンシャイン通りってのもあるけど、シネマサンシャインは60階通りだから間違えないように気をつけろな。ああ、折角前通り過ぎたんだから案内しときゃよかったな」
「ああ、別に今度でいいよ」
「今日はサイモンも静雄もいなかったな。遊馬崎さんや狩沢さんは多分ゲーセンだろうけど」
「だあれ?」
「あー、いや、遊馬崎さんと狩沢さんは俺の知り合い。サイモンと静雄ってのは――さっき話したろ、敵に回しちゃいけないやつの内の二人だから。まあ、平和島静雄は普通に生きてりゃ話しかけることもないだろうし、見かけたら逃げるのが一番だ」
「敵に回しちゃいけない人かぁ・・・」
漫画みたいだなぁと思いながらも、これが都会なのだろうかとどこか納得してしまう自分がいた。
「他にどんな人がいるの?」
高校生だとは思えない幼い顔が、こてんと首をかしげながら無邪気に尋ねる。
「ヤーさんやギャングは言うまでもないけどな・・・帝人」
正臣の瞳が、先ほどの陽気さとは打って変わった真剣な光に変わり、帝人の名前を呼ぶ。
「絶対に、折原臨也だけには近づくなよ」
どこか硬い声に、帝人はうん。と頷いた。
「分かってるよ」
オリハライザヤ。その名前の響き自体は知ってはいたが、他人の口から音として聞くのは初めてだと思いながら。
「あの人、面倒だもんね」
帝人の言葉に、正臣は思わず目を見張ってその足を止めた。
「・・・知ってんのか?」
確かに、帝人の持つ情報網は侮れないものだと知っている。けれども、それはある一つのことに関するものが中心のはずだ。折原臨也という名は確かに知られているものではあるが、それは所詮一地域のことでしかない。そんな相手を知っているなんて思わなかったのに。
「うん。だってあの人、ネットで僕にちょっかいかけてきてるもん」
「はぁ!?」
心底びっくりしたように、正臣の瞳が丸く見開かれる。
がしっと切羽詰ったかのように帝人の肩を掴むと揺さぶるように詰め掛けた。
「おま・・・っ!それで大丈夫なのか!?無事なのか!?何もされてないか!?純潔は無事かぁーっ!?」
「正臣」
必要以上に騒ぎ立てる幼なじみの名前を呼ぶが、幼馴染の混乱はなかなか収まらない。
「あのやろう・・・俺の知らないところで俺の帝人にちょっかいかけやがって・・・」
普通の人間が聞いたならば、ぞわりとするくらい低く殺意の含んだ声だった。ドサクサに紛れて『俺の』なんてことを口にした正臣に突っ込みを入れるのもおっくうだなぁなんて暢気なことを思いながら、帝人はとりあえず正臣が落ち着くのを待つことにする。
(言わなきゃよかったかな)
最終的には、ばれることになるだろうから同じ結果なのだろうけれども。
けれども、幼なじみの言いたいことも分かるのだ。あの面倒な相手が関わっていると分かれば、心配しすぎというものはないだろうことも。
(ほんと、やっかいな人なんだよねーっ)
いまだ会ったことはない、とてつもなくめんどくさいけれどもどこか憎めない存在のことを思い、帝人ははぁ、とため息をついた。