今年の4月に池袋の地へと足を踏み入れた一人の少年がいた。  

 田舎からはじめてこの東京の都会に出てきたその童顔の子供は、大きな瞳をきょろきょろと怯えたように人波に投げては辺りを見回している。  

 一目で、なれない都会に戸惑っている様がよく見て取れたがもちろんそんな子供の相手をする人間がここにいるわけもない。  

 みな、そんな相手がいることなど視界に入っていないかのように足早に通り過ぎるだけだ。  

 いや、本当に視界に入れていないのだろう。  

 通り過ぎてもそれは人ではない。歩くのに邪魔な障害物でしかないのだ。少年はきょろきょろと辺りを見回し、人にぶつかりながらも何とか目的であったらしい場所にたどり着いてふうと息を吐いた。  

 少年の名前を、竜ヶ峰帝人という。苗字も名前も仰々しいが、どちらも本名だ。  

 今年の春から晴れて池袋の高校に入学し、そのために田舎から上京してきた初々しい子供。  

 高校生にしてはずいぶんと幼く見えるその姿はきっと顔立ちだけのせいではない。おどおどとした様子が、なおさら庇護欲をそそった。  

 ちらりと時計を見てまた人波に視線を移す。どうやら、誰かを待っているようだった。柱に背中を預けて少年は通り過ぎていく人波をぼんやりとながめる。  

 (ヒト、いっぱいだなぁ)  

 けれども、道行く人々は一切少年に注視しない。  

 都会では当たり前の光景ではあるのだが、しかし、その様子を端から見ているものがいれば実はとてもおかしいことに気がついただろうか。  

 本当に誰も、その少年に注意を向けていないおかしさを。  

 いくら自分以外に興味のない都会とはいえ、それでも人々の視線は周りを認識するために動いている。なんの変哲もないすれ違い様の相手でも、何とはなしに視界に入れ観察するものであるのに。

 それが一切少年には向かないのだ。  

 まるで、そこに何もないように。  

 それは一種奇妙な光景。誰も気付かない、気付かないからこそおかしな日常の中の一コマ。  

 しかし、それを破るようにざわめきの中で明るい声がその少年にかけられた。

   

 「よっ!ミカド!」

   

 「!?」  

 ぼんやりとしていた瞳を、驚いたように丸くし声のしたほうへと向ける。  

 「え、あれ・・・紀田君?」  

 そこには、帝人よりも少し大人びた、しかし同年代であろう明るい髪の少年が満面の笑みで立っていた。  

 「疑問系かよ。ならば応えてやろう。三択で選べよ、@紀田正臣A紀田正臣B紀田正臣」  

 「わぁ!紀田くん!紀田くんなの?」  

 おどけた様子で精一杯のギャグらしきネタを披露する少年の言葉を完全に無視し、帝人はぱぁっと顔を輝かせた。  

 「俺の3年かけて編み出した渾身のネタはスルーか・・・久しぶりだなオイー!」  

 「昨日チャットで話したじゃない・・・それにしても全然変わってるからびっくりしたよー。髪の毛染めたりしてるとは思わなかった!あとそのネタ寒い」  

 寒い、といわれて一度落ち込みはしたものの、慣れているのか紀田と呼ばれた少年はすぐに気を取り直すように立ち直った。  

 「しっかし、ミカド!」  

 勢いよく、自分よりも背の低い少年の肩に手を回し自分の方へと引き寄せる。  

 「お前、ほんとよく来たなぁ!」  

 顔を寄せ合ってふざける様に紀田幼年は笑う。その馴れ馴れしい態度をはねつけるでもなく、大人しそうな少年はそれをあっさりと受け入れた。  

 紀田正臣。同学年で幼馴染という肩書きを持つ友人に、帝人だって久しぶりに会えて嬉しくないわけがなかったから。  

 「お前のことだからなんだかんだいって絶対にこんな話蹴ると思ってたんだけどよぉ」  

 うんうんと頷く紀田少年に、帝人は諦めが混じった苦笑を返した。  

 「ま・・しょうがないよね」  

 自分がここにいることも、こうなってしまったことも。帝人の脳裏にいる狡猾な大人のせいだと思いながら、しかしこうして幼馴染に会えたことだけは感謝してもいいと帝人はこの池袋の地に立ちながらはじめてプラスに考えた。  

 「ま!とりあえず池袋を案内してやるよ!」  

 ぱっと帝人の肩を離すと、紀田少年は東口へと人波を縫って歩き出す。それにもちろん、帝人も異論はなかった。置いていかれないように、必死で足を速める。  

 この人ごみのなかですいすいと歩く同い年の少年はすごいなぁと内心で思いながらなんとか横に着くと、「しっかしなぁ・・・」と唸るような声が幼馴染の口から漏れる。  

 「おじさんも、ほんとしつこいよなぁ」  

 ふっと嫌な予感がして少年の口を止めようとしたが遅かった。

   

 「ライラを未だに諦めてないなんて」

   

 一瞬にして帝人の表情が変わる。すっと色が抜け落ち、しかし誰の目にもとまらぬその瞬間の後そこにあったのは年相応よりも少し幼く見える笑顔だった。

 帝人は「正臣」と隣を歩く幼馴染の『名前』を呼ぶ。  

 振り向いた幼馴染の笑顔が、げっ。と引きつった。  

 「その名前を今度他の誰かがいるところで出したら、今後一切一言も正臣とは口きかないし存在も認めないからそのつもりでいてね?」  

 口調は優しいものだった。  

 先ほどと変わらないどころか、それ以上に柔らかいといえるような。しかし、なぜか温度は格段に下がっていたが。  

 それを投げられた相手がもちろん気付かないわけがない。  

 満面の笑顔をそのまま瞬間冷却させ、冷や汗をかきながらも

   

 「・・・・・はい」

   

 と正臣は穏やかな笑みを浮かべる帝人に乾いた笑いと共に答えたのだった。