それは一見、いつもどおりの風景であった。
全体の会議がひとつ区切りがつき、その後に待っているのは主要国のみの会議だ。
その流れは当たり前のことで、だからいつもと変わらぬメンバーが次の会場へと移動をしているその一番最後に、日本はいた。
一人少し離れた位置から集団の後を追う。
いつもの光景の中で、それは普段ならば珍しいことだった。なぜならば日本の定位置はアメリカの隣であったり、誰かしらが話しかけていたりして一人歩くということはあまりない。
ただ今は、アメリカはイギリスに文句を言われて忙しそうだったし、日本は日本で歩きながらも今日の資料を見返していたりしたから自然と後ろに独りきりになった。
それだけのことだった。
勤勉で心配性な日本のその行動は時折見かけられる仕草であったから、他も大して気にすることもなく縦長になった集団は足を進める。
手の中にある資料を、日本はぱらぱらとめくる。
きれいにまとめられたそれに、不備はなさそうだ。後で気がついても遅いし、何かあってはその後始末が面倒だからこういった確認は日本には欠かせないものとなっている。
ふと前を向けばずいぶんと集団から離れてしまっていた。少し足を早まればいいだけで、追いつけない距離ではないがこれ以上遅れるのもまずいだろう。
自分の隣に日本がいないと気付いた時の、アメリカの機嫌をとる手間はできれば省きたかった。
だから、下を向きながらゆっくりと動かしていた足を少しだけ速めようと力を込めた時。
ぐいっと。
不意に、後ろから手を引かれた。
強い力に傾き、倒れ込もうとする日本の体はしかし途中で抱き込まれる。口をふさがれ近くの扉へと引きずり込まれた。
強い腕は日本の体に巻きつき拘束する。資料ごとその腕に閉じ込められ、日本は動くこともできずに廊下から姿を消した。先を行く、誰に気付かれることもないままに。
相手の顔が見えぬまま、ぱたんと扉が閉じられる。
誰とも知らぬ腕に抱かれ、しかし日本は叫び声をあげることも抵抗することもなかった。
口から手が離れ、体が解放された。
強引に連れ込まれ、自分と相手しかいない部屋の中で日本は体の力をまるで安堵したかのように抜く。そして、
「いきなり何するんですか」
日本の口からでた呆れたような声は、背後にいる相手の名を呼んだ。
「オランダさん」
再び、後ろから手が伸び日本の体を抱き込む。優しく愛しく愛するように。
「久しぶりやな、日本」
日本の声に、日本の倍ほどもあるのではないかと思われる大きな手が、背後から柔らかな頬をなでた。
久しぶりも何もあったものではない、つい先ほどの全体会議で顔を合わせたばかりではないかと思うがオランダの言いたいことが分からない日本ではない。こうやって、二人きりで会うのはずいぶんと久しぶりだとは思う。
だからといって、こういう手段を推奨するわけではないが。
「また、こういうことをして・・・」
別に、会うことを禁止されている間柄ではない。会おうと思えば、さっきの会議の後でだって話す時間はあったはずだ。
「他のやつらに見つかるのはめんどうだ」
顔色ひとつ変えずそう簡潔に言うオランダに、日本は苦笑した。
確かに、とは思う。
年下のくせに自分の保護者のような顔をするアメリカや、悪気はなくても物事を大きくするイタリア、悪気を含めて騒ぐフランスや、なにやら気をかけてくれるイギリスなどの前で背後から抱きしめられでもしたらどうなることか。
その騒々しい騒ぎは、日本にとっても避けたい事柄であった。
「それに」
とオランダはからかうように唇を歪める。
「あの場所じゃ、こういうこと出来んやろ」
くっと、あごを持ち上げられきつい体勢で合わさせられた。
じんわりと熱が伝ってくる。それを抗うこともなく、日本は薄っすらと唇を合わせた。
二人以外誰もいない部屋の中で粘着質な水音が響く。
背後から抱きしめられているだけじゃ足りなくて、日本は唇を合わせたままオランダと向き合うように体を反転させた。
するりと、折れてしまいそうなほど細い腕がオランダの首に回る。
口で何度文句を言おうとも、日本だって彼とこうしていたかった。
会議場で目が合った。それだけで、自分も彼を欲していたのだと。
そんなこと口に出さないでも知っていた。それは、自分も・・そしてオランダも、だ。
唇を合わせる。深く深く。
慣れた行為を。
あと、きっとこれは数秒の行為。日本の姿が見えなくなったと彼らが騒ぎ出すその前に、日本はあの中に戻らなければいけない。
何食わぬ顔で、何もなかったかのように。
うちに発散できなかった熱をくすぶらせながらも、周りに悟られることなく。
あと少し、あと少し。
これは、二人だけの秘密の逢瀬。