(騙された・・・)
食べたら、硬くてまずかった。
だから食べ進める気にもならなくて、噛み付いて血の滲んだ長い耳をぺっと吐き出した。見た目はふっくらころころっとしていておいしそうなのに騙されたと、悲しく鳴る腹を抱えながら思う。
(おなかすいてたのに・・・久しぶりのお肉だったのに・・・)
あぁ・・・と、期待していた分だけ落胆は大きい。
だからと言って、まずいものを食べる気はない。生きるためには食べなければいけないが、それが本能ではあるのだが、どうしても自分にはそういったものが薄かった。
おいしければ食べたい。だが、まずいものを食べてまで生き延びようとは思わない。
だから成人をした今でも細いのだと親友の2人には言われるが、それでもそれこそが自分の本能なのだからしょうがないと思う。
血のついた口元をぬぐう。
新しい肉を探しに行こうか。それとも、そこら辺の草木でもかじるか。
最近はずっと草木やそこらへんの作物だったが、今日もそうなりそうだ。
人間のベジタリアンというやつではないが、いつかそうなってしまうような気もする。・・・・避けたいところではあるが。
(私、お肉もお魚も好きなのに・・・)
しかししょうがないと、腹をくくった。今の体力では新しい獲物を探しに行くのは無理に近い。宛がないわけではないから、そちらにでも向かおうとため息をつきながら方向転換をしようとした足下で、ぴぎゃーっと、変な声がした。
(・・・・ん?)
ふっと、下を向く。
くりっとした大きな緑色の瞳と目が合った。大きな瞳に滲んだ透明の涙は、つんとつついたら溢れてしまいそうだ。
空腹でなければ遊んでもいいが、そんな余裕はない。
しかし・・・だ。
(見れば見るほど、おいしそうなのに)
むーっと思わず眉をしかめてしまった。自分よりも小さい、ころころとした草食動物。片側の長い耳からは血が滲んで、金色の長い毛を汚していた。自分が噛みついた跡だ。
においも悪くない、小さな柔らかそうな体がふるりと震えている。
だからだろう。なんだかこんなにも諦めきれないのは。ふっくらとした頬。赤みを帯びたそれは、今見たってとてもおいしそうなのに・・・
ぐーっと、腹の虫が鳴る。
「・・・・・育ったら・・・おいしくなりますかね」
こてんと首をかしげながらそういったら、涙をためたその存在は一際大きく変な声で鳴いた。
「おい、菊っ」
自分を呼ぶ声がする。振り向けば、当たり前のようにそこには長い耳を持った草食動物がいた。
兎である彼の名前をアーサーといい、そして彼が名前を呼んだ狐である自分を菊という。
昔、食べようと思って噛みついたおいしそうな小兎はかじってみれば非常にまずく。しかし、その見た目のおいしさに諦めきれずに育て始めてからもうどれくらいになるのだろう。
自分よりもずいぶんと大きくなってしまった彼はもう、あの変な声では鳴かなくなった。
「どこ行くんだ?」
「食事ですよ」
昔よりは狩りがうまくなったおかげで、今では魚も肉も比較的思い通りにとれるようになった。相変わらずグルメで食べるものは限られるが、それでも昔に比べればましだろう。
目の前の、相手に出会った頃よりは。
「食事・・・」
菊の言葉を繰り返し、育った兎は真剣な顔をして狐を見下ろした。
「おなかが空いてるなら、俺を食べればいいだろ」
いつからかアーサーは、食事にでかける菊にそんなことを言うようになった。死にたいんですか?と聞いたら、死にたいんじゃなくて菊に食べられたいだけだと返事が来た。
アーサーの体には、いくつかの傷がある。全部、菊が噛んだ傷だ。
最初の出会いの耳の傷も、足にも腕にも数カ所菊が味見した跡が残っている。
それを時折アーサーはいとおしそうに眺めているのを菊は知っていたが、それを今も見ない振りをしつづけている。
「アーサーさんはまだおいしくないから、食べられませんよ」
そう言えば、アーサーは途端に不機嫌そうな顔になった。
変な関係だと自覚をしてはいる。自分は食べられない獲物をそばにおいて、被補食者は食べられることを心待ちにしていて・・・。
「菊」
きれいに育った顔が笑う。
「俺がおいしくなったら、食べてもいいんだからな」
再度、兎は繰り返した。
相変わらず彼の肉はおいしくはないが、もし、この兎がおいしくなっても食べることができる気がしないと菊は思う。
狐である菊にとって、兎であるアーサーは餌で。
食べるために手元に置いていて、アーサーも食べられる気満々で。
なのに・・・。
(食べ物のはず、なんですけどね)
なんでかは考えないようにした。考えてしまったら、後戻りのできないところに来てしまいそうな気がして。
だから、菊はアーサーに向かってにっこりと笑い・・・
「そうですね」
と、だけ答えた。