半壊した家を飛び出し物陰に隠れる。
砂埃のもうもうとたつ敷地内は、朝の平和な風景からは想像もつかない有様だ。
すすけた顔をようやく拭い、安堵のため息をついた。もちろん、まだ安全なわけではない。近くには王やアーサーがいるだろうから、それを思えばこわばった顔の筋肉もほどくことは出来なかった。けれど、銃口を突きつけられた窮地の状態を考えれば天と地の差だ。
「・・・悪いな。助かった」
横に視線を送れば、自分と同じように緊張したままの弟の顔がある。
埃まみれの様が、昔を思い出させるが今はそんな感傷に浸っている余裕はなかった。
あそこで彼が駆けつけてくれなければ、本当にどうなっていたか分からない。いや、確実にアーサーの弾丸の餌食になっていたことだろう。
そう礼を言うギルベルトに、ルートヴィヒは頭を振る。
「いや・・・まさか俺も、こんなに早く行動を起こすとは・・・・」
「・・・は?」
早く?
なんだ?早くって。それではまるで・・・。
「・・・・お前、このこと知ってたのか!?」
このわけの分からない異常事態の原因をっ!
詰め寄るギルベルトに、ルートヴィヒはわずかに視線をそらせる。
明らかに、知っていますと言った面もちだ。
「・・・・兄さんは最近表にでてこなかったから知らないかもしれないが、菊に執着しているやつらの数ははんぱじゃないんだ」
「・・・は?」
菊に?執着?
それは一体何の話だ。
黒髪の、昨日できたばかりの小さな恋人の姿を思い浮かべる。
それほどまでの魔性的な魅力が彼にあるだろうか。どちらかといえば見た目も立ち居振る舞いも地味で、かの国の世界的な存在に比べて場その具象化された姿は目立つものではないように思えた。確かに、絹を思わせる黒髪も触ったら柔らかそうな肌理細やかな肌もほんのりと時折浮かべる微笑も変えがたいほど可愛らしく抱きしめたくなるが・・・って、俺は何をっ!!
陥りかけた思考に、あわてて首を振る。
・・・・・・いっ・・いや、それはともかくとして。
王やアーサーの言葉から、原因はそれだろうとは思ってはいたが・・なんだか、自分が想像していたよりも事態がでかくなっているような気がする。
「誰もが牽制して手出しが出来なかった中でまさかの伏兵が兄さんなんだ。こうなることは・・残念ながら予想できていた」
「言えよっ!!そういうことはっ!!」
そうすれば、こんな展開になる前にどうにかできたかも知れないと言うのに。
半ば悲鳴のような声を上げたギルベルトに、ルートヴィヒは鋭い視線を向けた。
「だから言っただろう。気をつけろと。それから・・」
そうだ。それは今日の出掛けに弟が残していった言葉だ。
自分が確かに聞いた言葉。その時は、何のことだか分からなかったけれども。
「生半可な気持ちで菊とつきあうのはやめておいた方がいいと」
「・・・っ」
ルートヴィヒの言葉はこれを指していたのか。菊と付き合うのならば、それらのものに立ち向かい菊とのつながりをしがみついてでも離さない覚悟が必要なのだと。
のんきに浮かれていた頭が、冷水を浴びせられたように静かになる。
「・・・・その筆頭が、アーサーってわけか?」
「そうだな、後やっかいなのはアルフレッドもだ」
「・・・・・・あの兄弟が・・・か」
チッと、反射的にギルベルトは舌打ちを鳴らす。
面倒なやつらを相手にしたという気持ちが、胸の内を占めた。やつらのやっかいさは身を持って知っている。そいつらに、今の現役を退いた自分が立ち向かうだなんて。
柄にもなく怖じ気づきそうになる自分を叱咤するように、ギルベルトは嘲笑するように唇をゆがめた。冗談でも言ってなければやってられない。
「だからか。あのアーサーがあれ程までに菊について詳しかったのは。盗聴機でも付けてるんじゃないのか?」
「よく分かったな」
「って、マジかよっ!」
はっはと笑いながら冗談で言ったつもりだったのに、対するルートヴィヒの顔は至極まじめだった。
スパイ行為は知っていたが、まさかそこまでとは。
マジかよ・・・とまた小さくつぶやく。
では、あの会話を本当に聞かれていてのせりふだったのか。あれは。
いや、でも盗聴機ってどうなのだ。盗聴機って。
いくら好きだとか何だとか言っても・・
「・・・・変態か。あいつは」
頭を抱えながらぼそりとつぶやいたギルベルトの言葉に、特に返事をしないあたり少なからずともルートヴィヒも同意見なのだろう。
はっ!と気がつき身の回りを探る。
いや、まさかとは思うが・・・
「大丈夫だ。俺たちにはそう言ったたぐいのものは付けられていない」
ほっと、息を吐く。
そんなものついていた日にはたまったものではない。
ということは、菊だけ・・・ということだろうか。分かりやすい執着である。
「つか・・・プライベートとかそういうものはねーのか。菊には。誰か、あいつに教えてやらねぇのか?」
その心配は、誰しもが思う当然のことだろう。だが、ルートヴィヒから返ってきたのは予想を上回る返事だった。
「菊は知っている」
知って・・・いる?自分の周りに盗聴機が仕掛けられ、会話が聞かれ行動が把握されているという事がか!?
「しっ・・・知ってて、それ容認してるのかよっ!」
「気配には敏感だからな。本当に聞かれたくないことに関しては、聞かれないようにしているらしいし、逃げたいときには姿をくらませるらしいが・・・」
どうやって・・とは聞いてはいけないのだろう。
アーサーも相当だと思うが、菊も菊でそれはどうなのだろうか。嫌ではないのか?いくらそれからのがれるすべを知っているとは言っても、誰かに監視された生活など。
もしかして、菊も本心ではアーサーのことを・・・という嫌な予感が頭をかけ巡る。それならば、納得できないこともない。
好きな相手ならば、許容できることだろう。ならば・・・
「それで・・・」
なら、俺は・・・俺に言った言葉は・・・?どうして、俺と付き合おうだなんて・・・
「それに・・・菊が何と言ったか分かるか?」
もし、あいつのことが好きだからなんて、そうだとしたら俺は・・・
けれど、ルートヴィヒは深く深くため息をついてあきれたような声で言う。
「『あれはアーサーさんの趣味のようなものでしょうから、お止めするのも忍びなくて』だそうだ」
全く。アーサーのすることに興味がないのは分かるが、もう少し危機感というものを持つべきだな。あいつは。などというルートヴィヒは、とにかく菊のことを心配しているらしい。
けれどギルベルトは、眉をひそめてつぶやく弟の横で菊の言葉にひどく安堵していた。
そうか、なんだそれだけのことか。
「確かにあれはアーサーの趣味のようなところはあるが、そこまでひどいのは自分だけだとは知らないらしい」
鋭いのか鈍いのか全くわからない。いやまぁ、そこが可愛いのだけれど・・・って、いやいや!さっきから思考がおかしくないか!?
「つ・・つまり、菊と別れるかあいつらの相手をするかどっちかしかないってわけだろ?」
「そうだな」
ギルベルトの言葉に、ルートヴィヒは重々しく頷く。昨日手に入れたばかりの相手。
「菊と別れたら、平和な生活・・ってわけか」
「兄さん・・・」
ルートヴィヒの握りしめた手のひらに、力を込めすぎた爪が食い込む。自分を見つめる青い瞳。気がついたらいつも隣にいたそれを、ギルベルトは見つめ返した。
「悪いな、ルートヴィヒ」
赤い瞳が光を宿し、まるで燃えているような色合いを醸し出す。
久しぶりに見るその色に、ルートヴィヒは驚く。
「おまえの心配はもっともだけど、俺は菊と別れる気はないな」
「残念だけど、それは認められないんだぞ」
そして、ギルベルトとルートヴィヒの耳に届いたのは激しい爆音だった。