菊とアーサーとアルフレッドの少々かみ合わない会話から数刻前。  

 会議の行われる会場から離れたある一軒の家の中で、金の髪を後ろに撫でつけたひとりの体格のいい男が、隙なく形作られた彼自身の意志の強さを表したような眉をぎゅっと限界まで潜めさせていた。  

 「兄さん」  

 彼の前には、銀の髪に赤い瞳の男が少々眠そうな面もちで立ってる。本来ならば起きている時間ではないのだが、むりやり寝床から起こされた様がその顔からはありありとしていた。ギルベルトだ。  

 昨日の、年上の恋人ができた幸せをかみしめたばかりの彼にしてみれば、一夜あけてみれば難しい顔をした弟と顔を合わせる羽目になるだなんて思ってもいなかっただろう。  

 「なんだよ、ルーイ」  

 大きなあくびをこぼしながら、半ば寝間着のような格好でギルベルトは弟と同じように眉をひそめた。  

 「ったく、こんな朝早くから起こ」  

 「菊とつき合いだしたというのは、本当か?」  

 ギルベルトを遮って発せられたルートヴィヒの言葉に、思わず一気に眠気が飛んでいく。  

 「なななななななんでそれをお前がっ!」  

 別に隠そうと思ったわけではない。けれども、どうにも言いだし辛かったのも事実だ。  

 本田はルートヴィヒの親友だし、それに今更この年になって誰かとつき合うことをわざわざ弟に報告するのもなんだかかっこわるい気がしたというのもあったのだが。つまるところ、兄の見栄のようなものである。  

 「どうして・・・いきなり菊と」  

 「や、なんつーか。あいつからつき合おうって言ってきたからつき合ってやってるだけっつーか」  

 しどろもどろになりながら答えたギルベルトに、限界か思われていたルートヴィヒの眉が更に寄った。  

 「兄さん」  

 ただでさえ鋭い眼光が、いつになく光る。そして・・  

 「生半可な気持ちなら、菊とつき合うのはやめてくれ」  

 「・・・は?」  

 ルートヴィヒらしからぬ言葉だった。人のプライベートに口を出す趣味は弟にないはずだが、いつの間に趣旨を変えたのか。  

 「もちろん菊の為でもあるし、それ以上に兄さんのためだ」  

 「俺の為って・・・なんだよ」  

 言い聞かせるような言葉に、思わずむっとなる。何故自分が、弟にそんなことを言われなければならないのか。  

 つき合ってくれと言っていきたのは菊の方からだ。自分は、それに頷いただけなのに。  

 俺の為だの、菊の為だの。そんなのルートヴィヒには関係ないことだ。  

 「それに・・・」  

 途切れた台詞の合間に、ルートヴィヒは一瞬瞳を閉じる。しかし、それはすぐに開かれその視線を兄へと突き刺した。  

 「適当な気持ちでつき合うというならば、俺が許さない」  

 固い声に、ギルベルトは息をのんだ。  

 「ルーイ・・・お前・・・」  

 もしかして、と聞こうとしたギルベルトの声にならない言葉に弟は頭を振る。  

 「菊は、大切な友人だ」  

 言い切ったルートヴィヒに、ギルベルトは思わず視線を逸らしていた。  

 何故か、そのまっすぐな視線を受け止めきれることができなくて。  

 「俺は・・・」  

 表情の変わらない顔が、あの時はほんのり微笑んだ気がした。わずかに染まっていたクリーム色の肌とゆるんだ薄い唇が脳裏に再生される。  

 「俺、は・・・・」  

 言葉に詰まったギルベルトに、ルートヴィヒは彼に気づかれないように小さくため息をついた。  

 「今すぐに答えを出してほしいわけじゃない。けど・・よく考えといてくれ」  

 テーブルの上にきちんと揃えてあった書類を手に取ると、答えられないギルベルトに背を向ける。  

 「じゃあ、行ってくる」  

 ルートヴィヒの向かう先には、当然菊がいるのだろう。その先で、一体彼らはどんな会話をするのだろうか。それを思うと、鉛のようなものが胸の中にずしりと落ちてきた気がした。友人だとルートヴィヒは言うけれども、きっと弟だって・・・  

 「あと兄さん」  

 「なっ、なんだっ!」  

 不意に振り返ったルートヴィヒに、まるで心が見透かされた気がして思わず慌てる。けれども、振り返った弟の顔は先ほどとは違う何かを案じるような真剣な顔だった。  

 そして弟は言う。  

 「戸締まりは、くれぐれも厳重にしといたほうがいいと思う・・・」  

 「は?」  

 「出来るならば、会議が終わる夕方以降はなるべく人の目に付かないところにいてくれ」  

 「・・・・はぁ?」  

 その言葉の意味を聞き出す前に、ぱたんと扉は無情にも閉まった。  

 「・・・・・なんだあいつ。今更子供でもないってのに」  

 答えのない問いは、むなしく扉に跳ね返される。  

 一人取り残された部屋の中で、ギルベルトは小さくため息をついた。  

 なんだってんだ・・  

 適当と言われて、答えが返せなかった自分が腹立たしい。適当などではない、と言い返したかったけれどもだからといって彼を愛しているなんて言う言葉はもっと出てこなかった。  

 だってあれは、流れみたいなものだったんだ。  

 その場のノリ、というとさらに軽く感じるがでもだからといって決して軽い気持ちで受けたわけでもない。  

 本当に・・本当に自分は嬉しかったのだ。  

 初めて人から、あんなことを言われて。カッと胸の中が焼けたように熱くなった。  

 だから、彼の言葉を受け入れたのだ。  

 そこでふと、ギルベルトは思う。  

 じゃあ自分は・・誰があれを言っても喜んでつき合ったのだろうか。  

 ましてや、相手は男で・・・  

 心に浮かんだ一つの答え。しかしそれは、ギルベルトが掴もうとする前に他者の介入によって掴み損ねてしまう。  

 ガッシャーンっ!  

 「なんだ!?」  

 無粋な破壊音と舞い上がった噴煙によって。