「そーんなわけで」
どこからともなく取り出したのは、にび色が光る丸形の金属と小さな木鎚。
ゴングだ。
「お兄さん主催!時間無制限1本勝負ーっ!」
「は?」
「はぁあ!?」
高らかと詠いあげるフランシスに、ギルベルトとアーサーは目をむく。
「ルールは、意識失ったら負けねーっ」
殺伐とした空気には似合わない、実に楽しそうな笑みでフランシスは勝手に話を進めていく。
「ちょっと待てっ!なんでお前の言うこと聞かなきゃなんないんだよっ!俺は、んなもんに従わねぇからなっ!」
もちろん、一番に反論したのはアーサーだ。だが、そんなアーサーの扱いを一番心得ているのもフランシスである。
「ふぅーん?へぇー?いいんだ?一方的な暴力は、いっちばん菊が嫌いなとろなんじゃないかな。なぁ?紳士で有名な大英帝国サマ?」
話を振られたアーサーは、ぐっと言葉に詰まる。
「菊は、正々堂々とした勝負ごとならバトルも嫌いじゃない。な?お前等も発散できるし、菊に嫌われる心配もない」
丸め込まれている気がして若干面白くないものの、ギルベルト的には先ほどより不利ではなくなる条件だ。
「・・・ガチンコでやれってか?」
「俺もそういうのは嫌いじゃないんだぞ!」
バトルという言葉に反応したアルフレッドはといえば、むしろ楽しそうやる気を出している。
「っ!・・・・・あぁっ!もう!ちくしょーっ!やってやろーじゃねーかっ!!」
フランシスの言葉に同意した二人を前に、観念したようにアーサーも唸りをあげた。
とにもかくにも、このいけ好かないギルベルトの顔をぶんなぐれればそれでいいという結論に達したらしい。
「兄さん・・・っ!」
「黙って見てろ。ルートヴィヒ」
心配するルートヴィヒの問いかけに、ギルベルトの口元がにやりと歪む。それは、昔よく見た表情だった。重なる面影に、ルートヴィヒは口をつぐむ。
「それじゃあ、いくぞーっ!」
降りあげたフランシスの手が下ろされカーンという甲高い音と共に戦闘の幕がきって落とされる。
「俺に勝てると思ってんのか!小鳥やろうっ!」
「うるせぇ変態っ!てめぇなんかに、死んでも渡すか!」
弾薬の使用はないはずなのに、何故か派手に上がる土煙に男たちの本気が見えるが、まぁこれで多少の命の心配はないだろう。
「わーぉ。すんごい啖呵きってるねぇー」
からからと笑いながらその様子を観戦する様は、到底この事態を深刻視していないようにも見えた。
「フランシス」
とがめるようなルートヴィヒの声に、ひらひらとお気楽に手を振る。
「だぁーいじょうぶだって。あれでいてあいつ、菊のことちゃんと愛してんのよ?」
ルートヴィヒの心配事など分かっているという顔で、フランシスはひょいと肩をすくめた。
「意識してんのか無意識なのか知らないけど、あの時期のこいつから聞く話はぜーんぶ菊ちゃんのことばっかでさー。ま、今の状態思えば無意識だったんだろうけど、無意識であれはよけいひどいよなー」
それは、自分にも覚えのあることだった。
そうだ。自分は知っていたのだ。兄が、菊のことをどう思っていたかなんて。
だから、本当は心配なんかしていなかった。ただ、自覚もしないまま愛した相手と幸せになる兄が少しうらやましかっただけだなんて、そんな子供のような意地悪をしただけなのだろう。
「ま、そんなわけだから結構収まるとこに収まったと思ってるのよ。お兄さんは」
騒ぎを見つめて苦笑するフランシスに、ルートヴィヒは眉を寄せた。そんなこと言ってはいるものの、こいつだって菊のことを憎からず思っていたはずだ。
自分・・・と同じように。
なのに・・・
「何だか大変なことになってますねー」
「ふん。いっそ、共倒れすればいいある」
「・・・っ!!」
唐突になんの気配もなく背後に立っていた菊と王の姿に、びくりとルートヴィヒの肩が揺れる。
どうしてこの東洋の国々は足音や気配をさせないで近づくのだろうか。こっちの胃の具合を考えてほしいものだ。
「遅かったねぇ、菊ちゃん」
「ちょっと後始末を少々。再度あちらのお二方の都合も聞かなければいけませんが、会議の再会は来週の末と言うことになりましたので」
後始末とは、先ほどまで鬼気迫る勢いでアーサーを追っていた王がこうして比較的おとなしくこの場にいることも含まれているのだろうか。納得はしていないようだが、こうして騒ぎの中心へと駆けていかないところを見ると、どうやら何らかの取引があったように思われる。
しかしながら、問題は菊だ。
事務的な用件をこんな時まで変わらない表情はで伝える様子からは、自分のせいでこんな騒ぎが起こってる当人とは思えない。
「いや・・・それよりも、止めなくていいのか?あれ」
指を指した先には、彼の恋人であるはずの自分の兄の姿。まぁ若干楽しそうに見えるものの、だいぶぼろぼろな状態になっているのだが。なのに、その姿を目に入れても菊はこてんと首を傾げるだけで不安そうな様子はない。
「こんな場面に、私がでるのもやぼというものでしょう?」
それどころか余裕そうな表情で、口元を押さえて目を細める。
その言葉に、ルートヴィヒはもちろんフランシスもわずかに目を見開いた。
だって、それはまるで・・
「あー・・・菊ちゃんさぁ・・・・・どこまで分かってるの?」
アーサーの気持ちとか、アルフレッドの気持ちとか、自分を取り巻く好意の意味とか。
しかし、菊は答えることなくただにっこりと笑った。少女のようにも思えるその笑顔に、フランシスはこっそりため息をつく。恋に疎く純情に見えようとも自分よりも遙かに長い年月を生きてるだけあって、本当にこの老人は一筋縄ではいかない。
分かっているのか分かっていないのかは不明だが、どちらにしろやっぱり叶わないのだろう。
雲を掴むような相手に肩をすくめ、フランシスは苦笑した。これだと、ギルベルトは菊の尻に敷かれそうだ。
「ルートヴィヒさん」
「あっ・・・あぁ、なんだ?」
唐突に話を振られて、ルートヴィヒは視線をしたに向ける。
その青い瞳に向かって、菊は彼にしては珍しくじっと視線をあわせた。
「ルートヴィヒさんは、大丈夫ですか?」
「何がだ?」
一瞬前の凛としたまなざしから一変、わずかに染まった目元を瞬かせて菊は口を開く。
「その・・・私が、あなたのお兄さんであるギルベルトさんと・・・その・・・お付き合いすることになったことについて、です」
「あぁ・・・」
よく見る表情だと、ルートヴィヒは思う。前で組まれた細い指が、僅かに擦り合わせるように動いていた。あぁ、これは、菊が自分に対して自信のないときにする仕草だ。
それに思い至って、ふっと、ルートヴィヒは表情を緩めた。
自分は特別にはなれないかもしれないが、このことで嫌われたくないとは思うくらい菊に好かれているのだとなんとなく分かって。
「俺は・・・菊が家族になることに、異論はない。いや、むしろ嬉しい・・とも思っている」
だから心配するな。と告げるルートヴィヒの顔は本人がなんと言おうとも真っ赤にそまっている。
その言葉に、安心したような菊はふんわりと笑みを浮かべた。常に浮かべている笑みとは違う種類の表情に、ルートヴィヒは内心動揺する。
「よろしくお願いしますね。ルートヴィヒさん」
「あ・・・あぁ」
なのに、必死で押し隠し平静を装うとする内心を面白がって暴く男が一人。
「家族ねぇーっ」
にまっとフランシスの顔が厭らしげにゆがむ。
「いやぁ、行きすぎな思考って感じもしなくはないけどさ。なぁーんかさぁ。ってことは菊はルートのお義兄さんってわけ?つか、お義兄さんってかお義姉さんって感じ?エッチな響きだなー。なぁ、ルートヴィヒ?」
「フランシス!」
お義姉さん。
一瞬そんな妄想がかけめぐっていただなんてまさかそんな・・・言えるわけがない。
それを見抜いているらしいニヨニヨ顔のフランシスが憎らしい。
「菊、このむっつりドSには気をつけるある。気を抜いたらなにされるか分からないあるよ」
「王っ!」
追い打ちをかけるような王の言葉に焦るが、周りは一切気にした様子はない。あぁ、これが年の差という奴かと、実はなにげにこの中で一番年下な自分の境遇を心底自分自身に同情したくなったルートヴィヒである。
「しっかし、収集つかないねぇー」
「煽ったのはあなたでしょう?」
ため息をつく菊に、そうかな?とフランシスは小首を傾げる。
「だったら・・責任はとらないとね」
にんまりと唇を引き上げた隣の男にいやな予感を覚えた時には、すでに遅かった。
おーい!とわざとこちらに視線を向けるように、戦闘真っ最中の輩に声をかける。そして彼らの視線がこちらを向いたのを確認すると、後ずさった菊の顎にくっと手をかけ頬を引き寄せ、フランシスは流れるような動作で陶器のような滑らかな頬に軽いキスを落とした。
「て・・・・めぇっ!」
どれほど遠く離れていようが、その状況を理解しない彼らではない。
目をぱちくりとさせた菊にウインクを投げ、にっこりと笑顔で爆弾を投げた。
「お兄さんだって、負けてないのよーっ」
じゃあまたね、菊ちゃん。だなんていいながら、おいしいところを持っていったフランシスは呆然とする諸々に手を振りとっとと退散を決め込む。
「待ちやがれっ!」
一番に正気を取り戻したのはアーサーだった。一瞬にして遠くまで逃げ去り、米粒のようなったフランシスを追う。腐れ縁として長い間彼の突拍子もない行動に慣れていた差だろうか。そのアーサーにアルフレッドが続く。
「覚悟するある!」
どこからか中華鍋を取り出し駆けだした王に引き続き、フランシスを追おうと走り出したギルベルトがぴたりと止まる。
どうしたのかとその姿を見つめていると、くるりと真紅の瞳が振り返った。
つかつかと、姿が菊に近づいてくる。なぜだか少しだけ、頬が染まっているような気がするのは気のせいだろうかと思ったときには菊の目の前にギルベルトが立っていた。そして、
「・・・・・消毒だっ」
ちゅっと、頬にさわった唇の感触。
そのまま走り去り、フランシスの後を追うギルベルトの後ろ姿を呆然と見送る。
耳まで真っ赤になっていたその姿をおちょくる者はいなかったのが唯一の救いだろうか。
「ほんと・・・・まいりますよねぇ・・・・」
伏せた顔を同じく真っ赤にしたまま立ち尽くし、ぽそりとつぶやいた菊の言葉を聞きルートヴィヒはため息をついた。
せめて、のろけの餌食にはならないようにするのが今後の課題かもしれないと。そう思いながら。