「恋人がほしい」  

 ぼそりと呟いた理由はなんだっただろうか。  

 たぶん、カフェの向かい側の公道で人目もはばからずいちゃついていたカップルが目に入ったからか、もしくは隣の席に座ってた恋人同士が幸せそうに指を絡ませ合っていたからか。または、その両方だろう。

 らしくないとは思いながらも、無意識のうちに吐いてしまった言葉は取り消せない。  

 けれども取り消す必要もなく、はぁ、と独り言のつもりで呟いたそれは、そのまま乾いた空へと霧散していくはずだった。  

 が。  

 「そうなんですか?」  

 予想外に受け止められ帰ってきたそれが、行き場を失う。  

 がばりと後ろを振り返れば、そこには無表情な顔をした黒髪の知人が立っていた。

 よく見かける黒いスーツ姿でも、ヨーロッパでは悪目立ちする紺色の着物姿でもない。ラフなシャツと、濃いベージュのパンツ姿はあまり見慣れないものではあったけれど。  

 「・・・・本田」  

 友人でも親友でもない。知人という言葉が一番合うだろう。けれども、その間柄の希薄さよりもギルベルトは目の前の相手のことをよく知っていた。  

 極東の孤高の島国。フェリシアーノと並ぶ、弟の親友。  

 知人、というよりは戦友ともいえるかもしれない彼は、しかしそんな殺伐とした単語などかけらも感じさせない穏やかなたたずまいをしている。  

 だから、ギルベルトはこの相手との関係を知人という距離感のつかめない言葉でしか表現することができないのだろう。  

 「お久しぶりです。ギルベルトさん」  

 国際的な議事に関しては弟に任せることが多い昨今では、ギルベルトは自由気ままにその日を過ごしていることが大半だ。もちろんルートヴィヒからの要請があれば仕事をこなしもするが、たいていのことは一人で処理してしまう弟から声がかかったことはあまりない。

 恐らく、隠居生活のようなものを送っている自分に気を使っているのだろうが(・・・・そう信じたいが)、それはそれで寂しいものがあった。  

 それはともかくとして、そんな理由で他国とあまり接する機会のないギルベルトにしてみれば、やはり彼とは確かに久しぶりである。

 しかも、住んでいる場所が遠く離れた東の国だ。こうして偶然出会う確率もほとんどない。

 そういえば、自分は出席するつもりはなかったが今週は世界的な会議が開催されるとか言ってた気がする。ならば、こいつがここにいるのもその関係なのだろうか。  

 「おっ、おう!久しぶりだな」  

 内心の動揺を押し隠しながら、片手をあげる。  

 が、もちろん相手はそんなことでごまかされてくれなかった。  

 「でも意外です。ギルベルトさんって、そういうことどうでもいい方かと思っていました」  

 やっぱりしっかり聞かれていたらしい。  

 ぐっと言葉が詰まる。  

 こくりと傾げた様子からは、こちらをからかう様は見えない。けれども、  

 「わっ、悪いか!」  

 柄ではないと分かっている分、どうにも居心地が悪い。  

 「いえ」

 照れ隠しで強く出るギルベルトに対し、ホンダは至ってまじめに返答をする。  

 「ギルベルトさんは素敵な方なので、あまりそう言う相手には不自由しないのかと」  

 その言葉に、ギルベルトはがっくりと肩を落とした。  

 「なんだその、不自由しないって・・・」  

 「えっ、違うんですか?」  

 驚いたようにこちらを伺う様に裏など見えず、なおさら返答に困ってしまう。  

 二の句の続けなくなったギルベルトに、本田はすみませんと小さく謝り身を縮こませた。  

 「・・・・・いや」  

 なんとなくその様にこちらが悪いような気になって、いや悪いのは本田の方だろうと思いながらも相手に責任を投げる気にもなれない。  

 仕方なくごほんとわざとらしく咳をする。  

 「・・・・椅子」  

 「はい?」  

 「・・・座らないのか?」  

 目の前の椅子はずっと空いていて、本田は立ったままなのに遅蒔きながら気づく。  

 そこを指させば、ありがとうございます。とようやくほんのりとした笑顔を浮かべた。  

 訳も分からず頬がカッと熱くなる。それを見られたくなくて、思わず目の前の相手から視線を逸らした。  

 「でも、本当にそう思ったんです」  

 椅子に座らせても、話題は変わらないらしい。  

 いい募るようにそういう本田から、ギルベルトは視線をそらせたままぶすりと呟いた。  

 「・・・・んなことねーよ」  

 ヨーロッパにおけるギルベルトの扱いの悪さを知らないからそんなことがいえるのだと自分のことながら思う。  

 極東にまでは、そんな噂は回ってこないのだろうか。  

 「いえ、私なら放って置きません」  

 けれど、なおも言葉を重ねる本田への、それはちょっとした意地悪のつもりだった。  

 「じゃあ、お前が恋人になるか?」  

 きょとんとした顔が、こちらを見つめる。  

 「私が・・・ですか?」  

 我ながら、突拍子もないことを言っているという自覚はある。  

 けれども一度出た言葉を引っ込める気にもなれなかった。  

 「そっ・・そんなに言うならお前が俺の恋人になればいいんだ!ちょうど俺も相手がいないわけだし、つきあってやらないこともないなっ!」  

 だから、そう言ったのは半ばやけだった。  

 冗談にして受け流されるにしろ、彼特有の曖昧な笑みで断られるにしろ、相手の言葉にダメージを食らわされ続けているのも癪に障ったので。そんな、単純な思考だったのに。  

 「いいですよ」  

 「・・・・・・へ?」  

 「ギルベルトさんさえよろしければ、つき合いましょうか。私たち」  

 驚きのあまり思考が止まる。  

 「え・・え・・と?」  

 「おつき合い、いただけるんでしょうか?」  

 こくりと傾いた小さな顔にさらりとなめらかな黒髪がかかる。  

 なぜだか、頭には断る選択肢は入ってなかった。  

 「しょっ・・・しょーがねぇなぁ!そんなに言うんだったら、つき合ってやるよ!」  

 がたりと音を立てて立ち上がった自分に周りの視線が集まったことにギルベルトは気づかないまま、恋人が出来た喜びに顔を緩ませた。  

 

 

 



    

 ちなみに、この会話がアーサーの諜報機関よって盗聴されており、数刻後にはその話が世界中に広まることになるのだが・・・  

 この時の浮かれたギルベルトは、まだその後の騒動を知る由もない。