晴れてはいたが、しかし風の強い日だった。
「世話になったな」
と、金髪に碧玉の瞳をもつ異人がとばされそうになった帽子を押さえながらそう言った。
「はい。こちらこそ、短い間ではありましたが珍しいものをたくさんありがとうございました」
金色の髪に対するは、髪も目も黒い小柄な存在。
10年・・・。わずか、10年の付き合いだった。
中国とも違う、アジアの島国。他と、関わりを持ってこなかった世間知らずの東の小国。
目の前にいるその国を見ながら、イギリスは僅かに目を細めた。
イギリスの背後には、大きな帆船が止まっていた。これから自分が乗る船だ。そして、自分は自国へと帰る。それは単なる帰郷ではなく、この国との決別を意味していた。
イギリス東インド会社は、1623年を機に平戸の商館を閉鎖した。今回イギリスがこの国を訪れたのは、その最後を見届けるだめだった。
なんてことはない。東の端の、一島国との取引が終わっただけだ。
高額な輸送費をかけてまで、利益の伴わない、さらにいえば不穏な気配のする国を相手にする理由はない。
そんなこと、今まで何度となく繰り返し行ってきたことだ。
この別れが再会へと繋がるのか、それとも永久の別れになるのかは分からないけれどもそんなことを一々気にしている理由はないはずなのに。
「じゃあな」
「お気をつけて」
そう声をかけ船に乗り込めば、視界の端で彼が深々と頭を下げたのが分かった。うつむいた顔が黒髪で隠れる。それを少し残念に思ったなんてそんなこと・・・
マストが降ろされた。
船が港を離れる。長い時間の航海がはじまるのだ。自分のあるべき場所へと戻るために。
その甲板から港を振り向いたイギリスは、自分を見送った黒髪がまだそこに立っていることに気がついた。もうさすがに表情までは見えないが、じっと、変わらぬ姿でこの船を見送っている。
(もしかしたら、もう2度と・・・)
たった数度会っただけだ。少し、話をしただけだ。
今まで、自分の周りにいなかったタイプだから、だから何となく惜しいなんて感情がわきあがるのだ。
きっと・・・そうだ。
イギリスは、甲板の上で小さくなっていく日本の姿から目を離せないでいた。
何故だかその存在が遠くなっていくのを見るに付け、痛む胸の奥を気のせいだと言い聞かせながら。
「別れはすんだのか?」
見送った船が小さく消えていくまで港にたたずんでいた日本の背後からかけられた声は、低く落ち着いたものだった。
それに、日本はくるりと袖を翻し振り返る。
「オランダさん」
幼いその顔に、ふわりと笑みが浮かんだ。子供のような外見ではあるが、そのこの相手が自分よりもずっと年上であることを微笑みかけられた方もちゃんと知っていた。
けれども、と思う。危なっかしいくらい世界を知らない、
柔らかそうな頬を少し上気させ、まるで恋をしているような顔で。
「えぇ、もう済みました」
先ほどまでの寂寥感などひとかけらも見えない素振りで、日本はオランダと呼びかけた相手のもとへと歩を早める。
「あっけないもんやな」
近づいてきた自分よりも小さな存在を、オランダはよく見なければ分からないほどの変化で表情を緩めて迎え入れた。
「はい」
と日本は答える。
「イギリスさんが我が国を離れられるのは仕方のないことですから」
イギリスにとって、はじめ日本ははるか彼方の財源を産むかもしれない未知の島国だった。
しかし、本国に届いたのは撤退を命ずるに値する結果。
需要と供給の意志の疎通がとれなかった。
ただ、それだけのことだ。
だから、いらなくなった日本をイギリスが去るのを仕方のないことだと日本は言う。
引き止める言葉を思いつかないくらいあっさりと。
「それに…」
と、日本は続ける。
「オランダさんが教えてくださったんじゃないですか。イギリスさんが、本当は恐ろし い方だって」
それに、オランダは「そうだな」と簡単に日本の言葉を肯定し、顔には出さぬまま満足そうに艶やかな黒髪の上に無骨な手をのせた。