変わらない笑顔の下からいらだった声がするというのはどうしてこうも奇妙な気がするのだろうと思いながら、菊は呆然と目の前の物体を見つめていた。  

 さらに言えば、親しんだキャラクターぬいぐるみの中から知人の声がする今の状況もシュールだが。

 「お前、何度俺にこうされたと思ってんだ!こんな大ヒントやったんだから、俺様のことは一発で気付くぐらいになれっ」

 「・・・・はぁ」

 無茶を言うなと思う。

 アレだけで中にいるのがギルベルトだと分かるのだとしたら、その相手はよっぽどギルベルトのことが好きかもしくはストーカーレベルではないだろうか。

 第一、 菊はギルベルトがこんな仕事をしているのだということも知らなかったのだから。  

 (そうか・・・)  

 つまり、知らなかったくらい彼と会っていなかったということだろう。  

 フランシスと疎遠になって、そのせいで何とはなしにギルベルトとも連絡を取りづらくなっていた。フランシスを菊に紹介したのはギルベルトだったから、どうしてもギルベルトの顔を見るとフランシスが浮かぶ自分に耐えられなくて。  

 普段は菊の都合など一切聞かずに行動をするギルベルトではあるが、あの時期だけは菊の心情を慮ってかいつもの強引な誘いは成りを潜めていた。それが、彼なりの気遣いだったのだろう。  

 自分勝手では在るが、他人の感情の読めない男ではないのだから。  

 「それから、だ」  

 あぁ、表情の一定なとらきち君の笑顔が、笑っていないように見えるのは何故だろう。  

 「お前、俺に謝ることがあるだろう」  

 尊大なものいいのその言葉に、菊はぱちぱちと瞳を瞬かせた。  

 「さぁ、謝れ。今すぐ謝れ。そしてこの寛容な俺様に感謝しろ」  

 「えっと・・・・すみません」  

 反射的に何に対して謝っているのか分からないままそうつぶやけば、不機嫌そうな沈黙が落ちた。  

 「・・・お前なぁ」  

 「いや・・・あの・・・えっと・・・連絡を、しなく、て?」  

 謝った理由を探してそう言えば、大げさにため息をつかれた。なんだか呆れられている気がするのは、気のせいではないだろう。ギルベルトに呆れられるのなんか心外だとは思うけれどもここ数年の自分を鑑みればそれも仕方がないのかもしれない。  

 「・・・・ちったぁ、ましになったな」  

 「え?」  

 「おまえのなっさけけねぇ顔だよっ!あんときゃ、生きてんのに死んだよりもひでぇ顔しやがって!」  

 死んでるのよりもひどい顔というのはどういうものなのだろう。自分の顔面の造作に興味がない菊にとって今の自分とあの時の自分との違いは分からないが、しかしギルベルトの表情をみればそのときがどれだけ酷かったのかは想像がつく。  

 ぶっきらぼうだが根は優しいギルベルトは、どこか安心したような顔つきをしていた。  

 どうやら、ずいぶん彼にも心配をかけていたらしい。  

 言葉には、あまり出さない人だけれども。  

 「フランシスだけが相手じゃないってのが、ようやく分かったか?」  

 「そう・・・・ですね」  

 正確にはそれとはちがうのかもしれないが、しかし否定するのも憚られた。  

 「あの最低男のどこがいいんだか未だにわかんねぇけど、まぁふっきれたんならいいだろ」  

 ふっきれた、というのとは違うかもしれないが、あれだけ一緒にいても前のような感情が沸いてこないということは多分そうなのだろう。  

 消えたのだと思っていた、何もかもがあの時に。でも、そうではなくこれが昇華というものならば菊が気付いていなかっただけでそれは完了していたのかもしれない。  

 ならば、それにずいぶんと自分は気がつかなかったものだと思う。それを言ったら、目の前の相手に罵られることは間違いないだろうけれども。  

 「だから、あいつのことは忘れて、これからはお前はお前の人生を生きろ」  

 「へ?」  

 あれ?と、思う。忘れて?  

 「こうやって会わないでいることがお前のためになるんなら、あいつぶちのめすことくらい俺様には容易いことだからな!」  

 いやいや、違うでしょう。そんな威張って言われても困るんです。  

 忘れるどころか、関わらないどころか今はれっきとしたお隣さんなのですが・・・?  

 てっきり、聞いているものだとばっかり思っていた菊からしてみればギルベルトの言葉は予想外だった。だって、フェリシアーノは知っていたのだ。ならば、もちろんルートヴィヒだって知っているだろう。なのに、なぜこの男が知らないのだ!?  

 もしかして、これは若干まずい展開なのではないだろうか。  

 「あ、のですね・・・ギルベルトさん。実は・・・」  

 そして、タイミングというものは時として最悪な状態で訪れるのだ。  

 「菊ちゃん。お待たせーっ」  

 「あーっ!とらだぁーっ!」  

 それなりに楽しかったのだろう、コーヒーカップから戻ったフランシスがこちらに向って手を振っている。その手を握っていたアルフレッドは、ギルベルトの・・・いやギルベルトの被っているキャラクターを指差し顔を輝かせてフランシスのもとを離れ駆け寄ってきていた。  

 「アリーっ!はしるところぶぞっ!」

 その後を、アーサーが追う。

 けれども、ギルベルトの視線は子供たちの上にはなかった。  

 「・・・・フランシス?」  

 あ、やばい。  

 そう思ったのは、直感だった。  

 「なんで・・あいつがここにいんだ・・・?」  

 声が、徐々に低く剣を帯びる。  

 (あぁぁぁ・・・・っ)  

 菊の行動パターンをギルベルトが理解しているように、菊もまた同じ。きっと、この先は・・・  

 「いや、あのですね。違うんですよ。これには色々と事情がありまして・・・」  

 聞いてないんだろうなぁと思いながら言葉を重ねれば、やはり聞いていないギルベルトは怒気のこもった声で菊の声を掻き消すように叫んだ。  

 「フランシスっ!!」  

 「・・・・は?」  

 着ぐるみに唐突に名前を呼ばれ、フランシスは先ほどまでの笑顔を怪訝そうにゆがませる。  

 「てめぇ!歯ぁくいしばれっ!」  

 「へ?」  

 すごまれたフランシスからしてみれば、気ぐるみの中から聞こえた声が知人であるという認識すらもてなかっただろう。  

 「あ・・・っ!ちょ!ギルベルトさ・・・っ!」  

 「へ?ギル?」  

 菊の声にフランシスが反応するがしかし理解にはいたらない。  

 「問答無用―っ!」  

 三者三様の声が混じりあい、そして黄色の物体はアーサーとアルの脇を走り抜けると容赦なくフランシスへと飛び掛った。